熊本の地震から
今のありがたみや出来ることを改めて実感し
日本に世界に貢献していけるようなことをやっていこう

といったことを言っておりました
今も余震が続く中
熊本の人達は地震酔いに不安感に絶望感に
大変な状況にあるでしょう
ですがその人達が再び明るくなるためにも
宮崎という近場にいる僕からでも
少しでも明るくしていけたらと気持ちを明るくしています
一部が真っ暗でも周りが照らせば明るくなりますからね
そして少しずつでも明るさを取り戻して元気になってもらいたいですね
そんな気持ちでこんな記事を見つけたので
少し貼り付けておきます
どうしていいかわからない。人肌に触れていないと正気でいられない」
これは震災後、宮城県石巻市のデリヘルに来店した被災男性の言葉だ。
5年前の東日本大震災、東北の沿岸部には巨大津波が襲い、多くの人々の命と生活を奪った。それは地元の風俗業界に従事する人々、そして客として通っていた男性たちも例外ではない。
そんな被災地の性風俗、特に風俗嬢にスポットを当てたのが『震災風俗嬢』(小野一光/太田出版)だ。
震災からほどなく仕事を再開させた風俗嬢たちを通して描かれるのは、時に親しい人を亡くし、絶望の中でも癒しを求め、それに応じようとする様々な人間模様だ。
石巻のデリヘル店に務めるチャコさんは息子のいるバツイチ女性。震災前から生活のためにこのデリヘル店で働き、石巻市の北西に位置する登米市で被災した。家族は無事だったものの3週間避難所で生活し、11年4月になって仕事に復帰する。
復帰したチャコさんの元には、地元の人を中心に以前より倍近い客が押し寄せたという。ほとんどが震災の被災者だ。それはラブホテルの空き待ちで車の列ができるほどだったという。
「避難所にいてお風呂に入っていないという人が多かったですね。当時市内では何軒かラブホが再開していたんですけど、そこではお湯が使えるから、背中とか躯をしっかり洗ってあげて、それから湯船につかってもらいました。あと腕を骨折していてシャンプーとかしてあげました」
震災から1カ月ほどたった時のことだ。中には避難所から彼女たちを求めホテルに行きデリヘルに電話して来る人、家族を亡くした人も当然いる。それが冒頭の「正気でいられない」という言葉を残した男性だった。
「三十代後半の人です。子供と奥さんと両親が津波に流され、長男と次男は助かったらしいんですけど、いちばん下の男の子と奥さん、あと両親が亡くなったそうです」
この男性はプレイの後で添い寝をしてほしいと言い、チャコさんはそれに応じた。チャコさんによれば震災前はガツガツしていた客が、元気がなくなり優しくなったと感じたという。
「つらい状況の中で、私たちを呼ぶ間だけは楽しみたいという人が多いと思います」
これはチャコさんの感想だけではない。同じデリヘルで働く21歳のラブさんも多くの客から、奥さんを亡くした、家や車を流された、そんな話を数多く聞いたという。
こうした男性の口から出て来る言葉が「癒やし」だった。
「みんな癒やしを求めてきましたね。お客さんの口から『癒やされたい』とか『心を落ち着かせたい』という言葉が出ていました。だから私もそういう人たちを癒やしてあげたいなって……。髪を洗ってほしいと言われて、洗ってあげたりとかもしましたね」
当時、彼女たちは“抜く”行為よりも「癒やし」に専念した。それは話を聞く、肩を揉む、髪や全身を洗う。性的サービスではなく一種のセラピーとし ての役割を求められ、それに応じていたのだ。もともとこうした風俗の世界では客と女性は自分たちの素性や背景を隠す“フィクション”の関係が多い。しかし 震災という未曾有の事態を前に、風俗の世界ではむしろリアルな関係性が存在したようだ。
だが、時間が経つにつれ男性側のデリヘルを呼ぶ理由も変化していったという。
「最近は仮設住宅に住んでいるお客さんが多いんですね。そこで聞いたのは、仮設って物音がすごく響くらしいんです。それで子供とかが隣の部屋にいる から奥さんとエッチができなくて、セックスレスになっちゃう人も多いみたいなんですよ。だから欲求不満になって、やって来たという話をけっこう聞きまし た」
避難所から仮設へ。こうした通常、語られることのない“不便”が存在することも風俗嬢の目を通してならではのエピソードだ。しかし一方の妻の側にもそれ以上の様々な不満があることを思えば、なんとも切ないエピソードでもある。
とはいえ、デリヘル嬢である彼女たちもまた“被災者”だ。前出のチャコさんも震災から1年半ほど経った頃、自律神経失調症になってしまったという。
「つらくなってきちゃったんですよ。毎日毎日、やって来るお客さんの被災した話を耳にするでしょ。それが、すごく重く感じるようになっちゃっ て……。(略)自分の心の負担というか……。耳にする話がみんな重いんです。あまりそれを背負いたくないというか。聞いている自分もガクンときちゃうんで す」
だが、チャコさんとは真逆に仕事に“救われた”“癒やされた”と語るデリヘル嬢もいる。それが44歳で夫と3人の子供を持つユキコさんだ。ユキコ さんは津波で両親を亡くしたが、しかし震災から2カ月後の5月には仕事に復帰した。当時父親の遺体は見つかったが母親は見つからず、遺体安置所巡りをして いた段階だった。
震災直後は父親の葬儀や母親を探すことで忙殺されていたが、ある程度落ち着くと夫や子供はそれぞれ仕事や学校に戻り、ひとり家にいるとウツの状態になってしまった。そして前に進むためにも仕事に出ることにしたという。
「本当に、仕事には癒やされました。(略)来客したお客さんから慰めの言葉や優しい言葉をかけてもらえたんですね。それに、お店に出たことによっ て、お客さんの中に私どころではない、壮絶な体験をした人がいっぱいいることを知りました。そのことで私も、これしきのことで負けられないと思って。一か らやり直していけるという気持ちになれたんです」
他にも震災前は辞めようと思っていたが生活を立て直すために再び戻ってきた女性、多くの人が仕事がない中でデリヘルという仕事があって自分の助けになったという女性、人と毎日喋れることで気分転換ができたという女性など、様々に描かれる人間模様。
震災を乗り越え、身内の死をも乗り越えようとする風俗嬢から見えるこれまでとは違った角度からの被災地、そして被災者の実情だ。
東日本大震災は多くの人々の生活や人生に甚大な影響を与え、日常を激変させ、そして心に傷を残した。一人一人が様々な事情を抱える中、現在でも問題は決して解決されたわけではない。
震災と性風俗を結びつけるこうしたルポには「不謹慎」という意見もあるかもしれないが、しかし、こうした視点からしか見えてこない現実もある。あの未曾有の災害を風化させないためにも、多角的な報道は必要だろう。
という記事・・・・・・
それと・・・・・
熊本がとんでもないことになってしまった。
風俗ライターという仕事をしていることもあって、このような事態が起こると、自分の仕事に誇りを持っていても、「こんな時期に......」という声を突き付けられることもあって、複雑な気分になる。
熊本......実はソープランドの聖地だと言うユーザーは少なくない。「通は吉原や福原よりも熊本」というソープランドファンも多いほどだ。その理由のひとつとして、泡姫のほぼ全員がNS、つまり、ノースキン対応であることが挙げられる。
また、"熊本ソープの秘技"とも言われている『阿修羅』というテクニックも欠かせない。これは、四つん這いにさせられて、泡姫にアナル舐めをされながら手コキをされるものだ。まさに、性風俗の文化遺産だと思う。
さて、担当者の依頼により、このような状況下で風俗について書かせていただく。いや、『このような事態での風俗』についてだ。つまり、簡単に言えば『震災と風俗』だ。
まず、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災でのこと。崩壊した神戸の町で多くの人が途方に暮れた。それは、住む場所を失ったからであり、"生活"というものが危機にさらされたからだ。
この時に立ち上がったのが、関西のソープランドの聖地である福原のソープランドであった。もちろん、被害を受けて営業ができなくなった店もあったが、被害を免れた店が被災された人のためにお風呂を無料で開放したのだ。
もちろん、お風呂を借りた人も、そこが何をしている場所かは十分に承知していただろう。しかし、そのような事態であり、ありがたく使わせてもらったという人も多かった。
また、風呂を開放といえば、界隈のラブホテルも同様に、地域の人に無料で開放したという話も残っている。おそらく、そこで初めて性風俗の現場に足を踏み入れたという人も多かったことだろう。もちろん、本来、あってはならないことではあるが、普段は社会から隔離されることが多い風俗というものが、世間とつながった瞬間でもあった。
この阪神大震災から16年後に起きたのが東日本大震災だ。未曽有の出来事であり、かつてないほどの被害に日本国民が一致団結をして、募金活動を行っていたことは記憶に新しい。
実は、その際に受付に募金箱を設置した都内の風俗店が多かったものだ。
この募金活動で、現在も真摯な姿勢を見せているのが、被災地である仙台市にある『M』というソープランドだ。このお店は、毎年3月11日過ぎに募金の受領証をホームページに掲載しているのだ。そして、これからも復興支援を継続することを誓っている店だ。おそらく、店がある限り、この活動を続けていくことだろう。
この原稿を書いている現在、熊本のソープランドのホームページやSNSをザッとチェックしてみたところ、ほぼ全店が15日で更新が停まっている。おそらく、16日からは営業できていないのだろう。知り合いの関係者も多いので、今は一刻も早い再開よりも、彼らが無事でいてくれることを願うのみだ。
(取材/文=子門仁)
ってやつですね
まあ、普段は社会から隔離ってやつに関しては
存在価値や必要性
といった部分では無く
表にでない
というところなのだろうな
と思いますが
まあ、ちなみになぜこんな記事を載せてみたか
といいますと
やはり、ってやつで
不安感や絶望感は
安心感や温もりで和らいでいくでしょうし
そのためにはやはり人との関わりであったり
身近なところから明るく笑顔にしていくことが大事で
きっとその元気は伝染していくと
また、その形は様々で
現地から動きだす人もいれば
遠くから支援したり援助する人もいると
直接人に接して人を癒すことに
風俗というのは長けているのだと
いうことを感じましたね
これを読んでいる皆さんはどう感じましたか?
・・・・・・・
・・・・・・・・
そしてそして
今日も元気に出勤したわけであります
そしてクレヨンやOL、ラボのスタッフと笑顔で挨拶を交わしました
ゆたかさんはキリキリ仕事してて
階段の上り下りって、いい運動になる~!

っとクレヨンの構造を前向きにとらえており
OLのトミーは
入口で心地よい日差しを浴びていました

ラボのスタッフは相変わらずですね


こんな二匹・・・・・・
あ
こんな2人がのほほんとしていました
艶舞のなっちゃんには、
「おはよういじり~」
に対して
「ああ、はい」
で済ませてしまい
「おはようて言ってるっちゃからおはようて言いないよ!」
っと言われてしまいました
うむ
親しき仲にも礼儀あり

おまけに
少し前にもブログにも書きましたが
帰り道が同じで
車で後ろからマークされながら木城に帰った件で
その女の子に
最近木城町に帰る時はストーカーに気をつけてるよ
ははは
と言ってたら
どうもお気に召さなかったようで
半端ない敵意を向けられました(笑)

これだから人間はおもしろい


そういえば
芸能事務所やキャバクラなど
予定していたイベントを中止にしたりとかもあるみたいですね
不謹慎だとか
まあ
そういう考え方もあるでしょう
その考えに賛同する人も多くいることでしょう
ですが
僕的には
前にも書いてあるとおり
盛り上がることや楽しいこと元気になるようなことを
やっていって
周りから、遠くからでも明るくしていきたいですね
ってことで
艶舞はイベント予定
そのまま突っ走りますので
ぜひぜひ癒され、楽しみにご来店してください(^^)
いじり~でした☆